【日本】黎明期の一考察|小樽 山歩き キノコなど

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国の起こり

今回は国の起こりの時代を考察してみたいと思います。弥生時代には稲作が盛んに行われ、縄文時代の狩猟採集生活から農業中心の社会に変化していったと思われます。稲作栽培は天候に左右されやすくまた地域ごとに収穫量にも差があったでしょう。このように地域や集団ごとに収量の差があらわれ、余剰な米を持つ集団もあらわれたでしょう。この集団は余った米を貯蔵し外敵から武器を使用し守る体制をつくります。収量の少なかった集団はその米を求めて武器をもって略奪を図ります。略奪に成功したり、失敗したりすると、そこに征服した集団と征服された集団で上下関係、貧富の差が歴然とあらわれるでしょう。そうした現象が各地に起こり、小集団が中集団になり大集団も誕生したでしょう。これとは別に大陸などから特殊技能を持った集団、たとえば水利に長けた集団、武装集団、鉄を持ち込んだ集団など様々な技能を持つものが、既存の大集団を併合、支配または共存などを繰り返し、より強靭な集団をつくったと思われます。その中で鉄を自在に扱えるたとえば採掘や製錬、鉄製品の生産などに長けた集団がその技能を背景に支配を拡大していったものと考えます。つまり、農業で使う工具、鍬や鋤が木製や石製にとって代われば、生産性は飛躍的に上がるでしょう。また武器としても強力な力を発揮したでしょう。この鉄を支配した集団が大和の地でほかの特殊技能集団(豪族)を従え、ひとつの王権を誕生させたのではないでしょうか。すなわちこの大王家(おおきみけ)がのちの天皇と呼ばれる一族の始まりです。しかしこの大王家が独裁的に支配を広げていったとは考えにくいでしょう。大王家も豪族のひとつなので、ほかの豪族との合議によってその王権の長を決め、為政者として君臨させ大和王権と呼ばれるものを形成していったと考えます。

この時期の民族の流れ、権力闘争は、スサノオ族対ニニギ族、出雲族対大和族、天津神(あまつかみ)対国津神(くにつかみ)など、史実や神話が混然一体となり、黎明期の国生みのダイナミズムを感じさせます。この頃の研究はとても面白く数多の学者さんや素人の方も持論を展開されていると思いますが、たとえば「なぁ、お隣の山本さんちの先祖がこの国を創ったってよっ!」と言うのでは格好がつかないのでしょう。(全国の山本さんごめんなさい。他意はありません。たまたまです)神代の時代に天から神様が舞い降りてそこに住んでいた人々を従え、古代国家を形成していった。このような壮大な史実(お話)にしなければ国家としての権威が保てず、人々を統制、管理できないと考えたのでしょう。実際日本は現在もこのように繁栄を続けています。そういう意味では、古事記(天武天皇の命)や日本書紀(川嶋皇子(かわしまのみこ)や忍壁皇子(おさかべのみこ)が編纂)を世に出し、後世に伝えていった功績は大きいでしょう。しかし今、日本は人口のピークを過ぎ、減少に転じています。無駄とも思える複雑な社会システム、高度な情報社会など、息が詰まるような毎日を送っているというのが実感です。さて、そんな我々現代人に為政者はどこに舵を取り、私たちを導いてくれるのでしょうか。

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