【解説】日本人の本質|小樽 山歩き キノコなど

日本人

日本人とは

日本人を考えるとき、さまざまなアプローチがあると思います。文化、教育、産業、社会構造、精神性、衣食住、宗教、医療等々。そして時系列でのアプローチもあるでしょう。もちろん日本人とは?にこのブログで何かしらの答えを出すのは不可能です。その中で一日本人として感じる日本人、日本とは?を考えてみたいと思います。
まず日本の教育は9年間の義務教育が設けられ、日本人としての自覚を促します。ここで培われるものは、国語、算数、理科、社会、英語、体育、道徳などの教育を受け社会の一員としての基本を学びます。しかし何よりも大切なことは、集団生活をする上でのノウハウを勉強することです。友達や先生、先輩や後輩との接し方や地域住民との交流もあるでしょう。これは人として、あるいは日本人としての自覚を植え付けるもので、精神教育の根幹をなすものと思います。また家庭では躾を繰り返し教えます。幼いころから、やっていいこと、やってはいけないことを言葉と態度で覚えさせます。そして人に迷惑をかけない、親を敬う、友達や兄弟、姉妹を大切にする。また物を大切にすることも教えられるでしょう。おそらくこの躾が日本人の精神文化の底流にあると考えます。そしていつも神様がお前を見ているよ、と教育する風習のようなものが存在するのではないでしょうか。これは悪いことをすると、バチがあたると教えます。年下の子や同級生をいじめる、ルールを守らない、人や物を傷つける等々神様が上から見ていて悪いことをすると自分に跳ね返ってくることを何度も繰り返し刷り込みます。

神様はどこに?

ではその神様はどこにいるのか。日本人は無神論者が多く存在するでしょう。もちろんキリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教、その他数多の宗教が存在し、その宗旨を信奉している方々も多く存在しているでしょう。そしてその中に神道も存在しているでしょう。しかし神道に、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランのような聖典は存在しません。つまり言語で、何をしなさい、何をしてはならない、と具体的な教えのようなものが存在しないような気がします。八百万(やおよろず)の神が存在するだけです。八百万?そして神道と神社は深い関係にあるのでしょう。でも相関関係は私にはまったくわかりません。神社のご神体と呼ばれ祀られているものが、岩だったり、鏡だったり、山そのものだったり、ご神木だったり、剣や勾玉などもあるでしょう。つまり西欧人あるいはアジア人のなかにも全く理解できないものを崇拝しているのです。これは全世界の宗教を研究したわけではないのではっきりは分かりませんが、かなり特殊な宗教観だと思います。たとえば毎日の生活の中で、神様が見守っているあるいは監視している、それが山だったり、石ころだったり、花だったり、川だったり、トイレだったり雲だったりあらゆる場所に存在しているのでしょう。意識下でその存在は確認できるものではないでしょうが、無意識下でその存在が行動をコントロールしているのでしょう。人の見ていないところでも、人の道を踏み外すことはしてはいけない、これが日本人の躾の正体です。正体という言い方は正しくないかもしれませんが、これこそが日本人が日本人である所以(ゆえん)でしょう。日本人の多くは、私を含め日曜日に教会へ行って礼拝したり、日に何度か聖地に向かって礼拝したりはしません。私たちが礼拝(崇拝)するとしたらそれは、自然でしょう。日本は災害の多い国のような気がします。台風、地震、火山噴火等ひとたび起これば甚大な被害を受けます。しかしその困難に直面し、私たちが起こす行動は、復興を粛々と進めることです。そこに略奪や暴動などは起こらないでしょう。これはなぜでしょう、それは意識下にある八百万の神の存在です。神様、つまり自然が起こしたことです。自然に抗うことは人間にはできないのです。以前にも投稿しましたが、人間は自然を破壊できても、征服はできないということです。自然に対して常に畏怖の念を抱き、いかに調和していくか、それが日本という国に生まれたもの、日本人のダイナミズム(内に秘めた力強いエネルギー)なのではないでしょうか。

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