【ノルウェイの森再読!】|小樽 山歩き キノコなど

村上春樹

村上春樹の「ノルウェイの森」を読み返しました。

今回は、村上春樹の「ノルウェイの森」を考えてみます。最初にこの本を読んだのは、20代の頃でした。その当時この小説は大ブームになり、私もその波に乗り読んだのですが、それまで星新一や小松左京などのSF短編集など近未来の非現実的なものを多く読んでいた気がします。ほかに、松本清張、夏目漱石なども読んでいた気はしますが、このノルウェイの森は大袈裟に表現すれば、カルチャーショックを受けたような強いインパクトがありました。登場人物たちの描写はとてもリアルで、その世界に惹きつけられる魅力がありました。今回数十年ぶりで読み返すことにしたのですが、最初に読んだときに印象に残ったものはふたつで、ひとつは小説の冒頭近くに登場するエピソードで主人公「ワタナベ君」が東京の大学に合格し、ある学生寮で生活することになったのですが、毎朝6時に「中野学校」と呼ばれる寮長と「学生服」と呼ばれる小太りな男が、国旗掲揚の一連の行為をする場面です。もうひとつは最終盤、ワタナベ君が心を寄せている直子さんが心の病で療養している施設で同居している19歳年上のレイコさんという女性と交わるシーン、このふたつが心に引っかかっていたのですが、今回はそれほど強い印象を受けませんでした。なぜその当時印象に残ったのかは謎ですが。そしてこの小説の内容をほとんど覚えていないということに少し驚きを感じました。読み進めるうちに何かよみがえるシーンがほかにあるか考えましたが、初見の小説のように先が全くわかりませんでした。

さて登場人物としては、主人公の「ワタナベ君」、その高校の同級生で唯一の親友である「キズキ君」、その恋人「直子さん」、直子さんは後に心の病を受け療養所に入所するのですが、そこで同居していた「レイコさん」、ワタナベ君が寮で同居している「突撃隊」、2つ年上の東大に通い外務省への入省を目指す「永沢さん」、その恋人「ハツミさん」、大学の女友達「小林緑」、これらの登場人物がワタナベ君を中心にさまざまな人間模様を展開します。この小説にはそれぞれの登場人物のエピソードが事細かに描かれ、その心情、生き様、行動などが大変興味深いものとなっています。実際この小説を読んで村上春樹の作品に興味を持ち、エッセイを除けば大方読んでいると思います。最新作「街とその不確かな壁」まで。なぜ惹きつけられるの?と問われればおそらく明確な答えを出せないでしょう。強いて表現するならば、私のような田舎者がその周囲の環境とはかけ離れた場所に興味を持ち、その人々の考え方や生き様にあこがれを抱いていたのかもしれません。とてつもない情報量が毎日のように入ってきて、それを取捨選択して心と体に取り込み、やがて洗練させた都会人としての鎧をまとう、そんな生き方にあこがれを抱いたのかもしれません。誰もが脳も体も活発で疲れを知らず限界を感じない世界、それが都会で暮らす必須条件のように。(それは都会人でも若いうちだけでしょうが。)しかしノルウェイの森を最初に読んでから数十年経過し、現在の自身の環境がこの上もないほど穏やかで快適な環境なのだと悟った気がします。そこではなんの誇張も、背伸びも、敵対もない自然体の生活が送られます。40代ころだったでしょうか、仕事の関係で東京に出張に行き、時間が余ったので街を徒歩で散策した記憶があります。気温30度以上の真夏だったような気がします。そこで見た光景は、店舗の前を箒と塵取りで掃除するおじさんの所作、宅配便のお兄さんの荷物を持って道を駆ける所作、すれ違う人々のしぐさや顔の表情、それらすべてが東京という舞台の中でその役を任された演者のように感じられたのです。常に周囲から見られている、注目されている、そんな意識をもって生活しているような不思議な感覚でした。そして気温30度の中の屋外でテニスをしている様子が声や音で伺えました。もちろん北海道でも30度を超える日は年に何度かあるでしょうが、湿度が圧倒的に違います。何かまとわりつくような暑さで下着もワイシャツも汗でびっしょりになり、あと数分このまま歩けば倒れるような気がしたので、最寄りの地下鉄駅に潜り込み救われた思い出があります。

話を小説に戻しますが、今回再読して心に残ったセリフは、下巻の後半に入るあたりの、永沢さんとの会話の中で、/「自分に同情するな」と彼は言った。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」「覚えておきましょう」と僕は言った。/この言葉が妙に心に残り、先を読み進めました。そして読了後考えたことは、ワタナベ君に対する痛烈な批判です。ワタナベ君に対して、あなた自分の生活を美辞麗句で並べ立てても、社会一般で見ると直子さんと緑に対して「二股かけてますから!」しかもその間、永沢さんと連れ立って街でナンパし、女の子と「ホテルに行ってますから!」極めつけは、直子さんが入っていた療養所でのルームメイトだった19歳年上のレイコさんとも「交わってますから!」。こんなワタナベ君に作者は救いの手を差し伸べ、更生させなければなりません。そこで最も過激な方法をとります。それは直子さんの自死というかたちでワタナベ君を突き放し、さらにこの事実に基づいて、ワタナベ君はしてはいけない「自分に同情する」ための放浪を1か月ほど続けさせ、奈落の底へ落とします。しかしそこから這い上がって長い放浪から戻るのですが、小説はこのワタナベ君のどん底からふたたび微かに顔を上げたところで終わっています。そしてどん底を見たワタナベ君の未来の姿が上巻冒頭の18年後、ボーイング747に機上していてハンブルク空港への着陸を待っている姿となって現れ、ここでこの小説を完結させているのです。18年後のこの姿が人生の幸福のピークかはわかりませんが、彼はどん底から這い上がり、見事に立ち直り、彼なりの豊かな人生を送っていることは容易に想像できるでしょう。さて、この先20年後、再び読み返したらまた違う感想が生まれるでしょう。もっとも私は生きていないでしょうが?

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