幼い頃の記憶
私が森に、自然に親しんだのは小学校低学年の頃からだと思います。家の近くに公園があり、そこは古くから植樹が行われ、幼木を各地に移植するための営林署が管轄する公営の施設だったようです。園内は解放され誰でも自然に親しむことができました。園内にはテニスコート跡が空き地として残り、私たちは放課後にはそこで毎日のようにゴムボールで野球をしていました。そして虫捕りにも興じていました。キリギリス、セミ、トノサマバッタ、オニヤンマ、キアゲハ、カラスアゲハ、タニシ、カジカ、ニホンザリガニ等々を飽きもせず追いかけていました。虫を追うため、足元など目先の世界が全てでした。興味は動くものに集中していました。それは子供が好きな、飛ぶもの、鳴くもの、綺麗なものなどだったのでしょう。

再び自然に親しむ
そしてそれから数十年を経て再び自然に親しむ機会が訪れたとき、視線が水平あるいは上方に移っていました。見えてきたのは、野鳥の姿だったり、エゾリスが木から木へ移る様子だったり、木々の移り変わりだったり。大人になり視線を上げることで見えない世界が見えるようになってきました。

それは足元にも変化をもたらしました。今まで見たことも気づいたこともない、山野草やキノコが見えてきたのです。そこには厖大な情報が潜んでいました。そしてその情報に対して自分は無知であることに気づきました。それから山を歩き写真を撮り、図鑑を揃えて、この山野草の名前は?このキノコの名前は?少しずつ知識を蓄えていきました。それは現場に行かなければわからないことが多く含まれています。写真やメディアだけではわからない、質感だったり、匂いだったり、実際の色彩だったり、自生する環境だったり、発生時期だったり。そんな実際に目にする対象物を特定していく、その作業が生き甲斐になっていきました。それは私たち同様、生物の多様性を感じるものでした。人間があらゆる環境で様々な人種が生活していることと同じく山野草やキノコもその環境に適応し種の存続を模索しています。その種の生存戦略には眼を瞠るものがあります。そしてそれは身近で自然を観察できる魅力の一つです。

ではキノコ類に焦点を当ててみましょう。私たちの世界は大きな括りで眺めると、人間(動物)は消費者に例えられます。植物が生産者、そしてキノコなどの菌類は還元者になります。植物や動物が持続可能な生活を送れるのも還元者としての菌類が存在すればこそです。

しかし私たちは普段その働きを実感しているでしょうか。せいぜいスーパーで販売されているキノコを買って美味しくいただくくらいでしょう。自然のなかへ分け入らなければ彼らの生活は分かりません。森に入り注意深く足元や林をながめ彼らの存在を確認、観察する、それは私たち同様この世界を形づくる貴重な存在として認識できるでしょう。

ぜひ一度山を歩き彼らの生活を観察してみてください。琴線にふれる何かがあると思います。キノコに限らず自然は私たちに多くのことを教えてくれます。身近な山歩きをお勧めします。
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