小樽の地理を考える
今回は小樽の地理を少し考えてみたいと思います。小樽は道央と呼ばれる地域のやや西寄りに位置します。東西約36キロ、南北約20キロ、海岸線約69キロあります。一方が日本海に面していて他の三方は山に囲まれた平地の少ない坂の街です。とにかく平らなところは、埋め立てられた港付近、朝里の川沿いの一部、銭函一帯くらいです。当初和人が入植したころは銭函を中心にニシン漁を行っていたようですが、冬季の強風が厳しかったようで、何かと不便な場所のようでした。それに代わり現在の手宮を中心にした場所に拠点を移し、そこから小樽の歴史が始まったようです。港は日本海に面し、湾曲していて穏やかな良港として発展しました。明治時代、蝦夷地を北海道と改め、札幌を中心とした開拓が進みました。1880年(明治13年)北海道初の鉄道が手宮―札幌間に開通し、開拓民や物資の陸揚げ場所となり、昭和初期にかけて金融機関や船舶会社、商社などが進出し北海道経済の中心都市として発展しました。
毛無山から小樽港を望む
毛無山からの眺望
さて歴史はここまでとして、小樽の地理を考えるとき、平地が少ない、大きな川がない、港湾ー市街地ー住宅地のすぐ背後が山、などの条件を考えると、広大な土地を必要とする大規模な畑作農業、牧畜業、利水が条件となる稲作農業などには不向きな土地でしょう。そしてそれは商都として発展せざる負えない遠因にもなったかもしれません。私の自宅からも徒歩で1時間も歩けば、積丹半島を望む場所にも行けますし、山に入り山菜やキノコなどを簡単に採取できます。小樽駅などは背後がすぐ山で自然豊かな山野が広がっています。そして北海道の自然環境を考えるとき、北海道ならではの存在、そうヒグマの存在です。本州ではツキノワグマの被害、北海道ではヒグマの被害が年々増加しています。ことに北海道はヒグマの個体数が増え、国も「指定管理鳥獣」に指定し、捕獲や個体数調査などに交付金を活用できるように対策を講じています。
旭展望台から市街地を望む
小樽港
小樽市街
赤岩山
小樽とヒグマの関係は?
和人が入植する前、アイヌの人々がここで暮らしていた時代は、クマと共存あるいはそれに近い形でうまく対峙していたような気がします。ある意味神聖視していたのでしょう。そして和人が入植し、人口を増やし、都市を形成していくのにクマは邪魔者になっていったでしょう。つまりクマを人里から遠ざけ被害のない環境にしていったのではないでしょうか。小樽の幹線道路は市街地を札幌から余市に抜ける国道5号線と、それとは別に住宅地と山との境界を横断する幹線道路があり、これが言わば境界となり動物の行き来を困難にしています。つまりクマが里に下りてくる障害になっているということです。そしてここが小樽の特徴と思われますが、もし間違って道路を渡り人里に迷い込んだとしても、そこに野菜畑が広がっているわけでもなく、牛や羊が放牧されているわけでもなく、大きな川に鮭が遡上しているわけでもない、クマにとってあまり魅力のない土地に見えるでしょう。それよりも広大な山野を縄張りとし、ドングリやその他木の実を食べ、シカなどを追って生活する方が快適に違いありません。
それでは人間の側からは、今以上の山野に対しての環境整備や開発は現実的ではないでしょう。なぜなら人口が減少している現実があります。これ以上の乱開発、環境破壊は実利の伴わない愚策になると思われます。また心豊かな生活を楽しむ一つとして山登りがあります。それぞれの山頂目指して山野を分け入ることは、精神的にも肉体的にも社会生活をしていくうえで必要なストレス発散の為の行動でしょう。そしてそれには山に入るためのルールを守らなければなりません。たとえば、複数人で入る、ラジオ、ホイッスル、鈴などで人間の存在を知らせる、クマよけスプレーを携行するなど、クマと偶発的に遭遇しないように事前に準備することが重要です。それはお互いを尊重する行為と言っても過言ではないでしょう。それがクマと対峙しない為の最も自然な、適切な対処法のような気がします。これはあくまで私見ですが。そして私は、単独行が主で、境界を越えることなく近場で山菜、山野草、キノコの観察、採集を行っているので、クマに対する脅威はあまりありません。しかし必ずクマよけスプレーは携行しています。(臆病なので)
手宮公園からの眺め
手宮公園からの天狗山
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