遺跡散策
西崎山ストーンサークルへ行ってきました。以前訪れた時より駐車場からストーンサークルまでの道がきれいに整備されていました。海岸を眺望できる足元もきれいに雑草が刈り取られ遠くまで見渡せました。ここは小高い丘の上にあり、左に余市、積丹方面、右に忍路の先端が望める場所にあります。直下のフゴッペの海岸は砂浜が続き穏やかな印象ですが、潮流が思ったよりあるらしく遊泳禁止だと思います
3500年前、今より温暖だったようで、海面がもう少し内陸まで伸びていたでしょう。遠浅の海岸では魚介類が容易にそして豊富に捕れたのではないでしょうか。この周辺の地形は平地が広がり、緩やかに丘陵が内陸に続いています。今は主に果樹園が多く広がっています。この地で縄文人は、数家族単位の集落をいくつか形成し、狩猟・採集・漁労といった生活の基盤がすべてそろったこの最適地で豊かに暮らしていたのではないでしょうか。それは争いのない内向きの生活だったかもしれません。この地域には4か所ほど同じような列石群があるようですが、今回ご紹介したストーンサークルは、眺望もよく各集落共通の祭祀センターだったような気がします。
そして時がたち、アイヌ人や和人が生活の糧として選んだのは、ここより小樽寄り、あるいは積丹寄りの石浜でした。どちらも断崖が海に近接していて石浜が広がっています。そこは昆布が繁茂するのに最適な環境です。そしてそこに集まるのは、産卵のため岸に大挙するニシンの群れでしょう。この群れを目当てに人々は各地から移住します。鮭も多く捕れたでしょう。これは日本に稲作が浸透していったように、北海道のある地区ではニシンが稲作の代わりに、経済活動、移住、争い、貧富の差、教育、インフラなどのあらゆる社会基盤を成立させます。
縄文人が暮らしていた生活基盤は、衣食住が家族や集落単位で満ち足りていた程度のものだったでしょう。そしてそこには争いごとがあまりない日常の連続だったかもしれません。私たちは、縄文時代の1万年を経て今日の生活を獲得しました。それは豊かで望ましい生活かもしれません。そしてこの現代はいつでも簡単にあらゆる情報が手に入り、世界が広がったような気がします。それが本当に自分にとって良いことなのか疑問が残ります。あらゆる情報、よい情報、悪しき情報、それを取捨選択することが大切だと思います。知る権利があるように、知らない権利もあるのではないでしょうか。自分にとって必要不可欠な情報、あるいは身の丈に合った情報、それを手に入れることが大切だと思います。
縄文人が今いる場所から、海のかなたや岬の先、内陸のかなたには何があるのか、もっとおいしいもの、暖かい土地があるのではないかなどの欲求を感じたこともあったでしょう。しかしこのストーンサークルの丘に立った時思うのは、この360度見渡せる世界、それが自分のすべてだと考えれば、それ以上の欲求は回避でき、精神は安定するのではないでしょうか。そんなことを考える1日でした。
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