【小樽の隆盛】ニシンにまつわる歴史|小樽 山歩き キノコなど

小樽

小樽の歴史 ニシンからの考察

小樽のニシン漁を中心とした歴史を少し紐解いてみたいと思います。
江戸時代、松前藩は鮭やニシンを通してアイヌ人と交易をしていましたが、これを商場知行制(あきないばちぎょうせい)と言い、家臣に対し蝦夷地の特定の区域を「商場」としてアイヌ人の人々との交易を知行(所領支配権)として与えた制度で、やがて場所請負制(知行主たる松前藩の家臣が、和人商人に場所請負人としてアイヌ人との交易を代行させ、その商人から運上金を得る制度)へ制度の移行を行いました。つまりニシン漁などを巡る交易を官営から民間に開放しました。小樽では、オショロ場所、タカシマ場所、オタルナイ場所で交易が盛んに行われました。そして1900年頃(明治30年頃)、ニシンの漁獲量が100万トン近くなり、過去最高となり、北海道漁業の7割がニシンに関わるものだったと言います。
ニシン漁は3月~4月頃日本海沿岸に産卵のためやってくるニシンを漁獲しますが、この群来の時期に本州の農村部などから「ヤン衆」と呼ばれる出稼ぎ人足が集まり、2月~5月頃まで漁労や加工に従事し、田植えが始まる時期に戻って行きます。
獲れたニシンは、大型魚、中型魚、小型魚に大別され、大型魚は生食、身欠きにしん、中型魚は身欠きにしん、ニシン粕、小型魚はニシン粕として利用されました。ニシンという魚は、新鮮であれば刺身、塩焼きがとても美味しく、また乾燥させて身欠きニシンにしてニシンそばの具にしたりニシン漬けに使用します。ニシン漬けは身欠きニシンのうま味を野菜に移しあじわう北海道を代表する冬の保存食です。私も毎年漬けています。とても美味しいです。また魚卵である数の子の醤油漬けは高級品にもなっています。そして小型魚は、ニシン粕として北前船を介して北陸、関西に流通していました。これは従来農業の肥料として、干鰯を利用していたのですが、新しい肥料としてニシン粕が利用されるようになりました。私は以前ニシンを肥料にするなんてなんともったいないことをするのだろうと思っていました。しかし調べてみると、ニシン粕は有機窒素、リン酸を多く含み、綿花、桑、蜜柑、藍などの肥料として広範に利用され、その付加価値は計り知れないことがわかりました。そしてこの一連の流通で多くの労働、資本を生み、北海道の産業の牽引役を果たしたことは特筆すべき歴史でしょう。そんな悠久の歴史を想いながら冬の小樽、祝津、高島地区を歩きました。

小樽水族館のトド
小樽水族館 日和山灯台 ニシン御殿遠景
ニシン御殿 日和山灯台
小樽水族館遠景
豊井 遥か彼方風力発電を望む
日和山灯台 赤灯台
高島漁港
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