ゴッホとは その作品と人物像
今回は、ゴッホを考えてみたいと思います。ゴッホの絵画に興味を持ったのはいつの頃だったかは忘れましたが、絵画全般に興味を持ち、その中で一番惹きつけられたのがゴッホだったような気がします。最初に出会ったゴッホの作品が何であったかは覚えていませんが、印象に残っている作品はあります。いくつかの作品を上げますと、
(出展:ウィキペディア フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧より)
ニューネン時代 ジャガイモを食べる人々(1885年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – [??? – see original upload data]. However, thisone seems to be ‘borrowed’ from some file or print of the original., パブリック・ドメイン, リンクによる
アルル時代 ひまわり(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホa href=”//commons.wikimedia.org/wiki/Help:Zoomable_images#National_Gallery_collection” title=”Help:Zoomable images”>National Gallery (NG3863), London, パブリック・ドメイン, リンクによる
アルル時代 ローヌ川の星月夜(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – http://art-vangogh.com/image/Arles%20(1888-1889)/106%20Starry%20Night%20Over%20the%20Rhone.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる
アルル時代 夜のカフェ(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – 1. The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM)、distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202.
2. 不明
3. Yale University Art Gallery, パブリック・ドメイン, リンクによる
アルル時代 夜のカフェテラス(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM)、distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202.
link, パブリック・ドメイン, リンクによる
サン=レミ時代 星月夜(1889年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – Downloaded from Houston tourism web site around painting’s time in Houston’s Museum of Fine Arts (21 September 2003 – 4 January 2004). Can no longer find web site., パブリック・ドメイン, リンクによる
サン=レミ時代 糸杉のある麦畑(1889年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – agF0eS5NNsa0fg — Google アートプロジェクト, パブリック・ドメイン, リンクによる
サン=レミ時代 糸杉と星の見える道(1890年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – https://artsandculture.google.com/asset/country-road-in-provence-by-night-vincent-van-gogh/4wEXP9j2v6hpYw, パブリック・ドメイン, リンクによる
オーヴェル=シュル=オワーズ時代 オーヴェルの教会(1890年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – 不明, パブリック・ドメイン, リンクによる
オーヴェル=シュル=オワーズ時代 カラスのいる麦畑(1890年)
フィンセント・ファン・ゴッホ – http://www.southern.net/wm/paint/auth/gogh/fields/gogh.threatening-skies.jpg
Source description: http://www.southern.net/wm/paint/auth/gogh/fields/, パブリック・ドメイン, リンクによる
彼の生涯で付きまとうものは、女性に対する挫折かもしれません。どの時期においても恋心を抱くのですが、常に早い段階ではねのけられます。それは当事者間の問題であったり、周囲の人間の反対であったり。また職業に対してもその仕事を真摯に全うしようとしますが、それが彼が望んだ方向には進みません。人間関係で苦労します。そんな苦悶の人間関係に疲弊し救済を求めます。それが絵画の道であったのかもしれません。
彼の主な創作年代を時系列で見ていくと、
ニューネン時代 1884年~1885年
パリ時代 1886年~1888年
アルル時代 1888年~1889年
サン=レミ時代 1889年~1890年
オーヴェル=シュル=オワーズ時代 1890年
彼の画家としての製作期間は27歳から37歳までの約10年間です。その間、油絵約860点、水彩画150点、素描1030点を制作したそうです。水彩画や素描は油絵を制作するための習作と思われますが、寸暇を惜しんで絵画に没頭した様子がよくわかります。
彼の創作活動及び生活を支えていたのは、画商となった弟テオからの仕送りでした。テオの支えがなければ絵具を買うことも生活していくこともできなかったでしょう。そして彼はパリ時代に多くの画家と交流し、(ロートレック、ベルナールなど)またピサロ、モネ、ドガ、ルノワールなどの印象派の画家ともテオを通して知り合いになっています。ゴッホはこのテオに対して多くの書簡を送っています。600通以上現存しているようですが、その内容は宗教や芸術に対する思いや苦悩、家族のこと、自分の作品に対する詳しい説明、印象派のこと、住んでいる環境のことなどさまざまなことを書き綴っています。そして彼には精神的な深い病状があり、精神錯乱や発作に見舞われたようです。それは二重人格のように正気と狂気が彼を襲います。しかし少なくとも手紙を書いている時は本来の正常な意識の中で筆を執っていたでしょう。その膨大な書簡の中に気になる一文がありました。1888年アルル時代にテオに宛てた書簡です。抜粋にはなりますが、
/日本芸術を研究すると、疑いもなく賢く、哲学的で、知的な人間を見出す。そうした人間は何をして時を過ごすのだろう?地球と月の距離を研究してか? 否。ビスマルクの政策を研究してか? 否。そうした人間は、たった一枚の葉を研究するのだ。
だが、一枚の葉の研究から、彼らは次にすべての植物、四季、田園の種々さまざまな面、動物、そして人物の研究へと進むのだ。そのようにして彼らは人生を送る。だから、そのすべてをなすには人生はあまりに短い。
自らも花のように自然の中に生きるこれらの素朴な日本人がわれわれに教えるものこそ、真の宗教と言って良いのではなかろうか?
日本の芸術を研究すれば、われわれは必ずもっと明るく幸福になる。われわれは、自分たちの受けた教育や因襲的世界でどんな仕事をしていようと、自然に還らなければならない。/
当時(19世紀後半)ヨーロッパ、特にフランスを中心に日本の浮世絵、工芸品などが注目され、各国の芸術家に影響を及ぼしたようです。これをジャポニスム、日本趣味と言います。ゴッホもその影響を受け、浮世絵に深い興味を持ち、広重の浮世絵の模写をしていますが、書簡にある日本人の精神性、ある意味の宗教観がその当時のヨーロッパ人の共通認識だったのか、それともゴッホ独自の日本人観だったのかはわかりませんが、とても興味深いです。
彼が生前に売れた絵は、アルル時代の「赤い葡萄畑」という作品だけでした。
37歳の時に自殺を図り生涯を閉じますが、あまりにも短い人生だったような気がします。しかし、37歳までの10年間の創作期間での作品を考えると、人間ゴッホが最良の人生を全うするには、短くも長くもない運命に導かれた生涯だったような気がします。彼の作品は、世紀を超え世界で愛されています。
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