北の国から
北の国からというテレビドラマを二十歳の頃、リアルタイムで見ていました。放送の回が進むにつれ、話題になっていった記憶があります。北海道が舞台ということもあり毎週楽しみに見ていました。倉本聰という脚本家が書いた作品ということを知り興味を持ち、書籍化したシナリオも読みました。北の国からで一番印象に残った場面は、全24話ある中の23話の中で、黒板五郎(田中邦衛)の別れた妻玲子(いしだあゆみ)が急死して、葬儀の為東京へ来た五郎が足早に北海道に戻った翌日、先に東京に来てその日も滞在していた従兄の北村清吉(大滝秀治)が、玲子の親戚と一緒に居間に居て、遅れてきてすぐ帰ってしまった五郎をなじっていた場面で、「それをおくれてきてまたパッと帰っちゃう」「結局、よっぽど憎んでいたってことかね。」清吉「それはちがうんじゃないですか」「深い事情は-わし、わからんですよ。けど-。それはちがうんじゃないですか」「五郎は早く来たかったンですよ。本当は、純や蛍や雪ちゃんと-いっしょにとんで来たかったンですよ」「あいつがどうしても来れなかったのは-」「はずかしい話だが-金なンですよ」「金が-どうにもなかったンですよ」「あの晩あいつ-わしとこに借りに来て、-はずかしいがうちにもぜんぜんなくて-近所の親しい農家起こしてー大人一人と子ども二人ー航空券と千歳までの代-それやっと工面して-発たせたですよ」「翌日の昼、中畑ちゅうあれの友だちがそれをきいてびっくりして銀行に走って-でもあいつそれを、受け取るのしぶって」「だからあのバカ、汽車できたんですよ。一昼夜かかって汽車で来たんですよ」「飛行機と汽車の値段のちがい-わかりますかあなた。一万ちょっとでしょう。でもね、-わしらその一万ちょっと-稼ぐ苦しさ考えちゃうですよ。何日土にはいつくばるか、ハイ」「おかしいですか、私の話」「それとね、これもいえるんですよ。天災にたいしてね-あきらめちゃうですよ。何しろ自然がきびしいですからね。あきらめることになれちゃっとるですよ。だから-たとえば水害にやられたとき、-今年やられましたよ北海道さんざん、-めちゃめちゃにやられてもうダメッちゅうとき-テレビ局来てマイクさし出されたら、みんなヘラヘラ笑っとるですよ。だめだァって、ヘラヘラ笑っとるですよ。あきらめちゃうですよ神様のしたことには。そういう習慣がついちゃっとるですよ。だからね-」ここまでがシナリオの内容です。私が常々思うことは、北海道は毎年、冬という災害に見舞われているのではないか、ということです。寒さや雪の対策はしっかりして生活しているので災害には当たらないかもしれません。しかしひとたび吹雪が続くと交通もマヒし、学校も休校になったり、生活物資も滞ることがあります。停電があったり、避難所に身を寄せる場面もあるでしょう。そんな時、みんなどこかあきらめている気がします。もちろん戦わなければ生活を続けることはできません。必死で戦うでしょう。でもこれは毎年訪れる試練です。避けて通れないものです。だから半ばあきらめているのではないでしょうか。それがシナリオで清吉さんが言っていたこととオーバーラップしてしまいます。私たちは、自然は破壊できても、決して征服はできない、とこれも常々思っています。自然の中で生かされているという意識をもてば、無駄な乱開発、環境破壊は食い止められるのではないでしょうか。自然と人間の共存は先人(たとえば縄文人)がすでに経験していることです。今一度自分たちの足元を見直す必要があるのではないでしょうか。とここまで難しい御託(偉そうに言い立てる)を並べましたが、一方そんな厳しい北海道をなぜ離れないの?と言われるでしょう。それは環境が厳しい見返りに、豊かな大地が広がっています。そこで作られるもの、海の幸、山の幸(キノコや山菜なども)、この恩恵を享受できるしあわせは、なにものにもかえられません。一度北海道を離れて生活した方なら、強く実感できると思います。水道の蛇口をひねれば美味しい水が枯れることなく出てきます。これも魅力の一つでしょう。私たちはこの四季のはっきりとした大地で生活できるしあわせを実感し、この環境を守り続ける使命を果たしつつ、未来へつなげていかなければならない義務があるのではないでしょうか。
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